私は昭和20年、敗戦の年4月、旧制浜松二中へ入学した。満開の桜が美しかった。
担任の先生の最初の訓話は「中学生になったら沢山本を読め」、「世の中は自分の思うようにならないことを知れ」だった。中学生になったんだという喜びを強く感じたことを覚えている。以後6年間(途中学制改革で高校になった)戦後の混乱期を西山台で過ごすことになった。
いい先生や友達に恵まれた。戦時中の勤労動員や戦後の貧困時代を共に体験した同級生とは一種の戦友的な仲間意識をもつようになり今日まで親しく付き合っている人が沢山居る。
敗戦直後の学校は窓ガラスは破れ、グランドは畠になって運動もできない。先生は足らず生徒は教科書、ノートもない、まともに授業もできないひどい生活だった。それ以上に困ったのは敗戦を境に価値観が大転換したことだ。何が正しいか、どういう行動をすベきか誰も分からないまま放埒な生活に明け暮れた。しかし戦後の解放された自由の気分は格別だった。戦時中禁止されていた文学、映画、音楽、美術、スポーツが解禁になり学校でのスポーツ、文化活動はまさに百花繚乱の趣だった。誰からも勉強せよと言われないのをいいことに私は専ら草野球に興じ、映画に心を奪われ、講談、三文小説、純文学等の乱読にうつつを抜かしていた。
優秀な連中はよく勉強していた。中には三木清の「哲学ノート」、西田幾太郎の「善の研究」などを読んで議論を楽しんでいる者もいた。私もたまには杜会科学の本をかじってこの連中に対抗しようとしたが所詮付け焼刃で不勉強の惨めさをいやという程味わった。
映画「カサブランカ」で愛国心を刺激され、「自転車泥棒」で貧困の哀れさと親子の情に胸を打たれた。「アメリカ交響楽」、「カーネギーホール」で音楽の楽しさを味わった。中でも「オーケストラの少女」はディアナ・ダーヴィンの可憐さもありクラシック音楽へ目を開かされた。
戦後という特殊な時代背景もあったが、読書でもスポーツでも夢中になってとりくんだ6年間の西山台での生活は、私の人間形成の基盤になったような気がする。学問の尊さや自主自立の重要性をさりげなく教えてくれた先生や、多くの個性的な友人との出会い、雑食的な読書や思考による知的好奇心の芽生え等、その後の人生にかけがえのない心の糧を与えてくれたと沁みじみ思っている。
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