倉橋義郎さん(高19回) 私が学習塾の仕事を始めて、早や40年近くになります。
学習塾というところは誰でも自分の考えで、自由に設立できますし自由に運営できます。私の場合は、生徒に分からないところを質問させたり、考えさせたりすることで進学を果たそうと考えて設立いたしました。その間たくさんの児童生徒とめぐり合い共に学んでまいりました。
 いま、日本における高校や大学の受験問題を見るにつけ、以前にも増してパターン化された出題が多くなっているような気がいたします。週休二日制やゆとり教育の影響で教科内容が削減さ、れ結果として出題範囲が狭くなっていることもそれに拍車をかけているようです。
そうなると受験生はこれに迎合する形で、語句やパターンの暗記をすることを勉強の中心におくようになります。こうして暗記力に優れた者がより偏差値の高い学校に通い、やがて社会の中心になっていく…手間暇かけず、深く考えもせず、結果だけを求める。こんな人間が増殖されているような不安を抱くのは私だけでしょうか。
実はこれと対極にあるのが、フィンランドで行われている比較や競争とは無縁の「考える」教育です。ではなぜフィンランドでそのような教育が行われているのでしょうか。それは第二次世界人戦後長い間当時のソ連に国の支配権を奪われ、厳しく自由を束縛されたという苦い経験をしてきたからだそうです。それを二度と繰り返さないために、彼らは子供達に「考える」教育を導入し、知恵ある子供に育て、知の力をもって国を守る方法をとったということです。まさに国をあげて取り組んだ結果なのです。
 人は「考える」時にも記憶します。脳内では記憶したものを使って答えを出そうとあれこれ試行錯誤を繰り返しやがて「分かった」という歓喜の瞬問をむかえ、考えが成就し終わります。慶応大学の佐伯昨教授は、「分かった」という感情は、脳内のいたるところに整合性ができた証なんだと語っています。「考える」ことは日常生活のなかで半ば無意識的に起こっています。会話も相手の言っていることや自分のしゃべった内容を一方で記憶し、一方でこの場で次に何をしゃべることが適切かと無意識に考えていますし、読書についても読んできた内容を記憶すると同時にそれを使って場面場面で無意識に考えながら読み進めていきます。
 私は、一昨年、縁あって大井川の河口近くの吉田町に通信制単位制の高校を設立致しましたがこの取り組みも先に述べたことの延長線上にあります。つまり、分からなかったところ、つまずいたところにまず立ち返りそれを暗記して終わらせるのではなく、極力自分の頭で考え納得して進んでいくことをモットーにしています。
 さて、教育界全体に目を向けますと教育制度やその仕組みなどについてはさかんに議論されますが、ここで述べた思考の重要性については話題にも上りません。教育の重要性については皆十分すぎるほど認識しているのですが、長い間続けてきた「教育」を変えていくことは、フィンラン下の例を見るまでもなく社会を変えるに等しい取り組みなのですね。
 国際化が現実のものとなってきました。こういう時だからこそ、暗記に頼って平均点を上げる教育を目指すのではなく、思考の重要性を加味した教育こそすべきだと思うのです。

倉橋義郎さんのプロフィール
    明治大学商学部卒業
    愛知大学大学院修了
    株式会社クラ・ゼミ代表取締役
    平成18年通信制・単位制高校「クラ・ゼミ輝高等学校」を設立。
    平成19年ブラジル人学校「イーエーエス」グループ5社の経営権を取得。

現在学習塾としては静岡県に29校、愛知県に17校の校舎を展開し、代表者として会社経営に携わりながら、一方で自ら教壇に立ち小中高一貫教育を実践している。

2008.08.21