高校第11回卒業生は、42歳の厄年を機に、節分の頃の土曜日の夜に学年同窓会を開くことを決めた。
学級担任だった河合九平先生から「卒業年次の十一の文字をくっつけると『士』になる。諸君は浜西の卒業生の中では、サムライのような学生たちであったから『士会(さむらいかい)』と名付けよう」というお言葉をいただいた。その時から28年、士会は一回の休みもなく続けてきた。
当初、恩師の先生方は殆ど全員が参加してくださったが、一人減り二人減りして、最近は3人になった。同窓生の参加は、例年88人前後である。
運営の大枠は、代表幹事グループが決め、実務は、担当クラスの幹事が取り仕切る。クラスの数は七つ。だから、7年に一度、担当が回ってくる。その年には、普段顔を出さないメンバーにも声を掛け、役割を振る。
今年は、私たちG組の担当であった。私にも声が掛かって、幹事会に出席した。同窓会の「次第」を決め、幹事の「役割」を決めてゆく。原則として、無役の人はいない。
「通知発送」「次第と名簿の印刷」「会計」「先生のお土産の準備」と、自分で自分の役割を引き受ける。「校歌・応援歌」は、元音楽教師が指名された。私は成り行きを見守った。
「今年は物故者の黙祷をやめようか」と幹事長が言った。古稀を過ぎた友人たちが、最近は、次々と鬼籍に入る。それなのに、どうして? と私は思った。
「富田君、お祓いをやってくれないか」と幹事長が言った。おう、その手で来たかよ、と私は思った。神職をしている私が、お祓いを断る理由はない。しかし、その発言が本気なのかどうか思案して、へらへら笑っているうちに、前回、私の役割だった「司会」が他の人に回っていった。
大学卒業以来、私は公立高校に勤務してきた。そこでは、特定の宗教・宗派の教育は禁じられている。(同窓会は教室ではない。だから、ご祈祷は法律違反ではない)と私は頭の中で反芻した。何度かの幹事会を経て、結局、本気らしいと分かった時、私は「福寿祈願」の祝詞を上げようと思った。人は死ぬ。必ず死ぬ。死を逃れることは誰も出来ない。昔の人は長寿を願った。しかし、七十歳を過ぎた今、思うことは、人生の価値は長い短いではない。その人なりに、豊かに人生を楽しんできたかどうかが重要だと思う。
ところで、同窓会の中での儀式だから、所要時間は5、6分。その中でビシッと決めなければならない。結果として、皆様が喜んでくれたのだから、よしとしよう。その役割の延長上に、この報告書の仕事が来た。
その後、反省会が開かれ、来年からの幹事は、従来のような、クラス順ではなく、更に同窓生からの要望を取り入れ、開催時期・場所も変更。春の彼岸の頃(平成25年は3月23日)、会場は駅前付近、案内状の発送は年明け、と決定した。
士会に参加している時の私は、活発な仲間に挟まれて圧倒され、引っ込み思案だった高校時代の頃に戻ってしまう。席に座って、仲間の話を聞きながら、にこにこ笑っているだけなのだが、それでも必ず勇気をもらって帰ってくる。それが不思議でならない。
浜松西高第11回卒業生、士会の皆様は、来年も是非、ご参加くださいますように、こうして、折角、機会を頂戴しましたので、一言、お知らせし、お願いをいたします。
どうぞ、よろしく
富田直次郎 (2012.05.10)