浜松西高同窓会長 斉藤 薫(高23回)
誇りを持ち次の100年へ
このたび、令和4年度同窓会総会にて、前・御室健一郎会長の後を受け、新会長に就任いたしました。歴代会長が築かれた歴史を振り返りますと、その責務の重さに身が引き締まる思いがいたします。
私は、島田市に生まれ、父の仕事に伴い島根県浜田市で過ごしました。父の死後、母の生まれ故郷である浜松市小沢渡町へ移り住むこととなり、浜田高校から西高の転校試験を受け、3年より転入いたしました。転勤族の多い浜松ですから、何十倍という高い競争率だったと記憶しています。浜松は「ずいぶん都会だなあ」というのが第一印象でした。
叔父の家に居候していた身でしたので、スイカや玉ネギを収穫して市場に出す手伝いや浜名湖でのアサリ採り、天竜川の投網打ち、山芋掘りなど、何でもやりました。初めて経験することばかりでしたが、すべてが面白く新鮮でした。
お金がなかったので、新聞配達の奨学金で明治大学へ進学。母親の面倒を見なくてはいけないという使命感から卒業後は浜松へ戻り、遠州鉄道に就職しました。バス事業から不動産、人材派遣、保険といろいろな部署へ転属しましたが、まったく異なる業種なので、違う会社に転職するようなもの。私の性格かもしれませんが、「生きていくためにはそこで頑張るしかない」という考えでやってきました。大変な仕事もありましたが、嫌だと思ったことは一度もないのです。
私が西高の生徒たちに伝えたいのは、「グローバルは浜松にある」ということ。いったんは大学進学で都会へ出る人も多いでしょう。でも、卒業後は浜松へ戻り、地元企業に就職してください。浜松を中心とした遠州地域は、海・川・湖・山と自然環境に恵まれ、食材も豊富。ショッピングやスポーツ、音楽など都会にある楽しみもある程度揃っています。休日にはサッカー観戦、サーフィン、釣り、キャンプで星空を眺めるなど、遠くへ行かなくても近場でリフレッシュし、充実した時間を過ごすことができます。
私は日本酒が好きですが、ここ遠州地域には旨い日本酒をつくる酒蔵がいくつもあります。日本酒講座に通い、いろいろな地酒を知りました。外で飲む機会は減りましたが、地元の食材で酒の肴を作るのも楽しみの一つ。遠鉄には、ボーイスカウト浜松第11団があり、私はずいぶん長いこと副団委員長を務めています。そのボーイスカウトの教えが「自分のことは自分でやりなさい」。ですから、カツオをさばくこともできます。
また、自己管理の大事なこととして、健康管理があります。私は趣味を兼ねて、30年ほど前から週2回の水泳を続けています。50歳までは1キロ泳いでいましたが、今はゆっくり500メートル泳いでいます。水泳を始めてから肩凝りがなくなりました。
さて、生徒の皆さんに、外に出てもぜひ浜松へ戻り、地元企業に勤めてほしいと申し上げました。経済が低迷する中にあっても、浜松には全国どころかいきなり世界に開かれた企業が数多くあり、就職先に困りません。これほど住みやすく、豊かな街が他にあるでしょうか。
浜松西高同窓会では、令和6年に創立100周年を迎えるにあたり、記念事業の企画を進めているところです。その一つとして計画しているのが「ASEANフィールド・スタディ」。海外に工場や支社を持つ企業にお父さんが勤めているという生徒さんたちは多いと思います。単身赴任で海外に行っているお父さんが働いているところを実際に見に行ってほしいー。そんな思いから、1週間ほどアセアン諸国に滞在し、現地での仕事を視察して学ぶツアーを計画しています。
浜松西高生としての誇りを持ち、これまでの100年の歴史と伝統を土台に次の100年に向かって研鑽を積み、地域発展のために頑張ってほしいと、心より願っています。
【斉藤 薫 略歴】
昭和27年12月21日島田市生まれ。明治大学商学部卒業。昭和51年遠州鉄道入社。代表取締役社長を経て令和4年代表取締役会長。令和3年12月より浜松商工会議所第21代会頭。令和4年6月より浜松西高等学校同窓会会長
【座右の銘】
ボーイスカウトのモットーである「そなえよつねに」。自分の義務を果たすための準備が、精神的にも肉体的にもいつでもできているということ。