河村正隆(高23回) こんにちは!「ケイ企画」の河村です。って、知りませんよねえ。
実は、やらまいか大使の瀧川鯉昇(たきがわりしょう)師匠の浜松連絡事務所としてスタートした寄席演芸関係専門の芸能プロダクションです。
 鯉昇師匠=山下秀雄君とは2年の時に加藤先生のクラス、3年の時には三橋先生のクラスという具合に一緒のクラスでした。そして、彼は演劇部、僕は弓道部と部活は違えどもタイミングが合う時にはチャリ通の二人が乗らずに歩きで一緒に下校した仲だったのです。歩く方が景色をゆっくり見られるし、話しもゆっくり出来るものですから。(笑)道は、わざわざ狭い路地を選んで通っていました。
 20年ほど前に彼から「実家へ問い合わせの電話がかかって迷惑を掛けて困っている。」みたいな話しを聞き「それじゃあ、うちの会社の一回線へ電話を引こう。」というのが始まりです。
 私は、大阪芸大の建築学科へ進んだのですが、家の事情で二回生の12月に中退し、家業の関連会社(メーカーさん)の株式会社キトーという会社へ修行で就職しました。当時(昭和47年頃)は景気が良くてキトーも中途採用をどんどんしていました。入社してからも、毎日残業があり、休みの土曜日も出勤ということで、給料は残業無しに比べると2倍ありました。その上、日曜日は洗濯等で外出しないのでお金がどんどんたまりました。

そんな時に実は電車で一駅のところに山下君は貧乏学生で暮らしていたので、当然「裕福な河村」は、給料日には「慰問」に行った訳です。山下君達はと言うとその頃新聞紙で作った侍の鬘なんかで老人ホームとかへ「慰問」に行っていたような記憶です。(笑)なんか不思議な縁ですね!  浜松での落語会の運営はというと私がまだ浜松へ帰って来る前ですが、山下君と同じ部屋に暮らしていた山中忍君が代表者として始めた「雅落語会」が30年以上の歴史を誇ります。
その後、若くして逝った同級生の加藤謙二君の追悼落語会である「奥山落語会」がお兄ちゃんを代表者として始まり、河村が代表者の「浜松寄席」は平成9年からです。どの会も代表者は異なれどもスタッフメンバーは同じであります。(ほとんど西高同級生)毎月どこかで開催していますので、「浜松寄席の会」のHPをご参照ください。8月には「海演隊浜松公演」9月には浜松出身寄席芸人の会「うなぎのぼりの会」と頑張っています。  昨年から浜松出身女流講談師「田辺一邑(いちゆう)浜松後援会」のメンバーにもなってビジネス的にも個人的にも寄席演芸関係にどっぷり浸かっております。
 一月に「山葉寅楠オルガンを直す」(創作)で絶賛された一邑さんが、「いちゆうのヒトin浜松Vol.2」8月29日14時30分(かじまちヤマハホール8階)にて「フジヤマのトビウオ古橋廣之進」(創作)を演じます。皆様沢山のお運びをお待ち申し上げます。お問い合わせは、「ケイ企画」 電話(438)1863 河村まで。  最後になりましたが同窓会皆様の御健勝を祈念申し上げて筆を置きます。

2010.07.20