大塚友美(高34回) 私が西高に在校していたのは、1979年からの3年間です。朝は徳光さんの「ズームイン!朝」を見ながら学校に行く支度をして、佐鳴台の県営住宅から徒歩で登校。
洋楽バンドにかぶれていたので英語が好きだった半面、数学はどんどん苦手になりました。数学問題集「オリジナル」のテストでは5点を取って、零点の同朋に「往生際が悪い」と言われて互いに大笑いしたことを覚えています。
放課後は、当時は町の重要な遊びスポットだった「西武」に行って、イベントと屋上散策。町には「ルビーの指輪」や「いとしのエリー」が流れていたっけ。週末の楽しみは「オレたちひょうきん族」。アニメ「ヤマトよ永遠に」をきっかけに、にわか天文学に首をつつこみ、純愛思想もしっかり植え付けました。高校3年の時には、野球部が県大会で優勝しました。あまりの喜びに球場で練り、バスの中で練り、小雨の降る中運動場でも練っちやったことを思い出します。YMOのテクノミュージックが流行り、モノトーンの色彩と機械の冷たい肌触りも感覚に残っています。
 この3年間で培ったものの中で、一番大きなものが「連帯感」だったと思います。2年生の時のクラスはハチャメチャでした。クラスメイトは、それぞれが漫画の主人公になりそうなほどの個性派ぞろい。いいも悪いもちゃんとその人の個性として認め、笑って肯 定するおおらかさを皆が持っており、私は中に居させてもらって、その大切さを教わりました。
普段はクラスメイトがてんでばらばらな方角を見ているような感じでしたが、合唱コンクールや文化祭の準備になると違いました。
皆が一人の指揮者を見つめ、文化祭のテ ーマを見据えて目標を達成していく経過は感動的でした。なにしろあのHRが、合唱コンクールで校内最優秀賞に輝いたのですから。「連帯感」を深く強く感じとった時期でした。
中学時代は、自分以外の人や世界を見ることについては幼く、大学時代は、自己の専門分野を開拓するなど、「個」を追求せざるを得ない時期です。この高校3年間が、一番連帯感を築きやすい時期だったのだろうと思います。また西高は、それを育てる校風がある、特別な高校だったのではないか、とさえ思います。そうでなければ、卒業して数十年が経っても、また世代を超えても、「浜松西高にいた」ということだけで、一瞬にして人と人が繋がるような感覚が湧きあがってくることを、どうにも説明できないのです。
 私の経歴に戻れば、西高卒業後青山学院女子短期大学に入学。そこで好きな英語をみっちり勉強する予定だったのですが、この時にフラメンコに出会い、25歳で導かれるようにスペインに行き、帰って来ては仕事に恵まれ、フラメンコ舞踊家としての人生を歩んでき ました。
十数年にわたり東京で研鑽を積み、2000年、子供を授かったことを機に浜松に舞い戻りました。  2002年の新春の集いは、私たち34回卒業生が幹事でした。同級生は私にアトラクションを任せてくれて、フラメンコ公演をグランドホテルで行いました。息子を浜松祭りの初子祝いに出した経験から、「子供の誕生を多くの人が輪を囲んで祝うスピリットは、フラメンコのそれとまるで同じ」という信念のもと、フラメンコと浜松祭りのコラボレートを初めて試みたのがこの公演でした。その後もこの試みに観客の共感を得て、また日本のフラメンコ界でも実績を積み重ねたことを認めていただき、昨年は「平成年度浜松ゆかりの芸術家」として顕彰していただきました。今年3月には、その記念コンサート「大塚友美フラメンコリサイタル~祭練りを迎えて」を公演。再び浜松祭りとのコラボレートを練り上げて、フィナーレとしました。やいしょおいしょも、オレー!も、大切な人の存在を祝福するための掛け声です。
 私がテーマとしているフラメンコは、「大部屋のフラメンコ」です。今やワンルームマンションで一人一台携帯電話を持ち、ファストフードを食べながら作品を作ることだってできます。近代化は、個人の快適さを追求する方向に向いているのだと思います。しかし、普段は個室にこもりがちであっても、たまには大部屋に戻りたくなる時もあるのではないでしょうか。一年に一度の浜松祭りには、そこかしこに「組」という大部屋ができます。そこに老若男女が一斉に集い、子供の誕生を全身で祝う事は、なんと人間味あふれる祭だろうか、と毎年感動します。 私がスペインでジプシーたちに習い、見て感じてきたことも これと同じなのです。
 私は、自分の周りにキラキラと輝く仲間がいて、みんなと一つのことをするのが好きなのかもしれません。あれれ?これって、高校生の時の私と同じじゃない?私の基盤は、西高の仲間が作ってくれたんだわ…みんなありがとう!それから、先輩後輩の皆さんも、折りにつけ力を貸してくださって本当にありがとうございます。
 現在私が手掛けている事は、「フラメンコ熱風二夜二〇一〇~お好み演芸会フラメンカ」の準備です。7月末の公演なので、会報が出るころには終わっていますね。フラメンコアーティストの3家庭が集い、6歳の子供から56歳の熟練のプロまでが舞台に上がって一芸を披露します。楽しくて親しみやすいフラメンコを、また浜松でも公演しようと思っていますので、機会があったらぜひご来場くださいませ。
 私は「万歳好き」。好きなものは、なんでもかんでも万歳です。これまたスペインでも同じです。スペインではよく、「我が町万歳!」「あなた万歳!」「あなたのお母さん万歳!」と皆で叫びます。  最後にスペイン語で叫びましょう。「!Viva Hamamatsu Nishiko!」

2010.07.20